リオオリンピック、テニスで錦織圭選手が銅メダルを獲得しました!
そして、テニスという競技で96年ぶりのメダルと話題になっています。
96年ぶり・・・
しかも、日本スポーツ界初めてのオリンピックメダル。
とても長い期間日本はテニスでメダルがとれませんでした。
気になる、96年前は誰がメダルを獲得したのでしょうか?
その人物を調べました。
96年前の銀メダルは誰が獲得したのか?
その人物とは、
熊谷一弥(くまがい いちや)さん
出典:pbs.twimg.com
プロフィール
生年月日:1890年(明治23年)9月10日
身長/体重:?
出身地:福岡県大牟田市
出身校:慶応義塾大卒
没年月日:1968年(昭和43年)年8月16日
熊谷さんは慶応義塾大卒業。今で言う慶応ボーイ。
東京三菱UFJ銀行(当時の三菱合資会社銀行部)の米国駐在中にテニス国際大会で活躍。
1920年(大正9年)のアントワープ五輪(オリンピック)、シングルスとダブルスで、
日本スポーツ界に初めてのオリンピックメダル銀メダルをもたらしました。
戦績は?
4大大会の主な戦績
全豪(-)
全仏(-)
ウィンブルドン(-)
全米(1916,18,19年/最高ベスト4)
「日本人テニス選手として史上初のグランドスラムベスト4に進出」
国内での主な戦績
全日本選手権複優勝(1929年)
アントワープ五輪(1920年)単銀メダル・複銀メダル
デビスカップ1921年出場/シングルス4勝2敗・ダブルス1勝2敗
全日本ランキング
全米ランキング 16年5位/18年7位/19年3位/20年4位/21年7位
戦績引用:日本テニス協会
96年前のプレー服装は?
プレーをする熊谷一弥選手。
出典:pbs.twimg.com
これは肌寒い時期でしょうか、今でもこういった服装はする方いますよね。
熊谷一弥さんの世界ランキングは何位?
熊谷一弥さんは世界ランキングに入った事はありません。
銀メダルを獲得した人物が、実は世界ランキングに入っていない方だったんです。
しかし、そこまでの実力があることは銀メダルで証明されているので各国の選手からは注目されていたと思います。
熊谷一弥選手が強かった理由
テニスには、硬式と軟式がありますが、熊谷一弥選手は元々軟式をやっていた方のため、ラケットの握り方が違かったんですね。ウエスタングリップという握り方をしていました。
なぜ、それがよかったのかというと、ウエスタングリップという握り方は土などのハードコートに強い握り方。
この時代では芝コートを作るのが難しくハードコートになってしまい、芝生に比べて球が高く跳ね上がるのでそれに適応した握り方だったんです。
偶然にも軟式出身というのがその時代に合ったラケットの握り方になっていたんですね。
運も実力のうちと言いますからね。
しかし、芝生のコートでは負けることが多かったようです。
熊谷一弥選手は花粉症だった
熊谷一弥さんの指導を受けたことのある鳥羽貞三さんの証言によると、
熊谷一弥さんは花粉症で、「試合中に涙が出てハンディになっていた」そうです。
引用:オリンピック選手になりたい!
花粉症が発症する時期は人それぞれなので、熊谷一弥選手が何時、花粉症になっていたかはわかりません。
体調管理がすべてのオリンピックでは負けた理由にはなりませんが、もしかしたらオリンピックでもそのせいでハンデを背負い金メダルを逃したかもしれませんね。
同じ時代を生き抜いたレジェンド選手
世界ランキング3位まで上りつめた佐藤次郎選手
世界ランク4位にまで上りつめた清水善造選手
まとめ
慶応と言えばテレビで有名な方だと
・櫻井 翔さん
・水嶋 ヒロさん
そして、小泉純一郎元総理など。
それにしても、96年前のテニス選手強すぎます。
(;’∀’)
巷では、96年前は銀メダルなので錦織圭選手より熊谷一弥さんのほうが強かったと言われていますが、実際どうなのか気になりますよね。
頭脳派プレイヤーだったのでしょうか。
96年もの間、獲ることのできなかったメダルですからその年月が熊谷一弥(くまがいいちや)さんの強さを物語っています。
錦織圭選手も重みを感じていることでしょう。
2020年の東京オリンピックではぜひ、金メダルを獲得して、熊谷一弥さんを超えてほしいですね。
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